kimura keiko
木村桂子

NEWSニュース

2011.09.25

Paul Davis宅

今回は、プッシュピンスタジオでおなじみのポール・デイヴィスさん宅。(若い方のポール・デイヴィスではありません)私の若かりし頃の憧れ、あの「プッシュピンスタジオ」!デイヴィスさんに会えるなんて。

長生きはするものです。ニューヨークはマンハッタンで1954年に誕生したイラストレーター集団「プッシュピンスタジオ」。デイヴィスさんのお宅とアトリエもマンハッタンにありますが現在は半分に縮小されて、主にはマンハッタン住人の避暑地、サグハーバーという素敵な町のセカンドハウスに奥様のマーナと2匹のゴールデンレトリバーで住んでおられます。8月の暑い日、私たちはロングアイランド鉄道に乗って郊外に向かう。車窓はどんどん木々が多くなる。外にむき出しになっているサグハーバー駅到着。まさに田舎の無人駅風。電車を降りると乗降客で混雑するプラットフォームの向こうにひときは高くストローハットが見える。私はなんとなくあれがデイヴィスさんじゃないかなと思っていたら、同行の主人が「たしかご本人が迎えにいらして下さっているはず」と。プラットフォームを降りて、やはり彼でした。ストローハットがお似合いのデイヴィスさんはにこやかに私たちを迎えてくださいました。彼の運転するヴォルヴォに乗ってお宅へ。海辺に近い2階建てのお家のテラスからまた満面の笑顔で迎えて下さった奥様のマーナさん。まずはテラスでお手製の冷たいハーブティーをいただきました。

さて、基本は主人の仕事でデイヴィスさんにポスター依頼の話なので私はおまけ。でも、つたない英語で少しお話しました。プッシュピンスタジオ時代はシーモアとミルトンのイラストレーションに対する考え方にとても刺激されたとの事。彼らはイラストレーションの事だけでなく色々な事に興味があって今でも脈々と続いているアメリカの伝統的なイラストレーションには無かった新風を吹き込んだ人達だったのですね。

ポール・デイヴィスさんといえば、チェ・ゲバラの肖像やセロニアス・モンクのレコードジャケットなどが思い浮かびます。そしてあの忘れがたいサイン文字。しかし、イラストレーターになる前は漫画家になりたかったというデイヴィスさん、でも彼のまわりには漫画のとても上手い人達がいて自分はあきらめたのだとか。ご本人はもの静かで優しい感じのお人柄で巨匠を前にしてしてしどもどする私はとても助かりました。

その当時のスタジオの活気は凄かったとオフィスマネージャーをしていた奥様のマーナさん。ロングアイランドにある学校にお金を寄付する為に色々な人の協力で「ポテトブック」を出版。日本でも、伊丹十三さん翻訳、矢吹申彦さんの表紙で評判になりました。トルーマン・カポーティの前書き、イラストレーション、エッセイ、ポテトのレシピなど、ジャガイモ一つがテーマにも関わらず多彩で豊富な内容に感心しました。

日本にファンが多いデイヴィスさん、何度も来日なさっているとか。主にデザイナーとの交流が多く、横尾忠則さんとは特に御親しいと伺いました。

終始あたたかい雰囲気でもてなして下さったポールさんとマーナさんに感謝の、夏の午後でした!